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旭屋のコロッケと高六のパン

葉山の肉屋旭屋のコロッケをはさむパンは我が町芦名の老舗高六のパンで決まり。こちらのパン、昔風な味でちょっと甘い。ところが旭屋のコロッケを挟んで食べると絶妙な味わいに変化する。元気な頃はこれを持って森戸の海岸で持参した紅茶といただくのが王道。今回は家で昨日の残りの味噌スーブと食べました。葉山の肉屋と芦名のパン屋の幸せな結婚といえる。いつまでも続きますように。

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フィトンチッドとマイナスイオン

かつてのボーちゃんとの散歩道だった近くの森にクルマで連れて行ってもらった。久しぶりに見る大楠山は新緑に覆われ、それはもう素晴らしかった。不自由な足だけれども、少し川の方向へも歩いてみたくなり、杖と智ちゃんの肩を頼りに歩行訓練も兼ねて歩いてみた。五メートル進むのに普通の人の五倍もかかるけれど慎重に川の遊歩道を進んで行った。川辺に佇むとマイナスイオンとフィトンチッドが同時に感じられ、この地に暮らす有り難みを実感した。さて帰りも又歩くのに時間がかかるなあ。嗚呼!

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神様がぐれたハネムーン

病院から一時帰休をして自宅での日々である。身体は不自由なところばかりで、あげていったらきりがないけれども、携帯のメールでのブログのアップは、いつも頑張ってキーを押している。二人で三度の食事を美味しく楽しくいただき、いつも一緒に居られるなんて、これは神様がくれたハネムーンとしか思えないよね智子。君といつまでも!

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歩みはゆっくりなれど

一枚、一枚衣を剥ぐように、と言う表現がある。でも一枚、一枚、薄い衣を付けていくように、ゆっくりと治してゆこうねと智子が言った。ありがとう、よろしくね。

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江戸時代を知っている僕

小さい頃遊び場といえば近所にある(原っぱ)だったそこにムシロを敷いて日がな一日遊んでいた。午後3時位になると近所のヤクザの親分が風呂屋の一番湯に行くために側を通りしなに声をかけてくれた。いつも着流しで更級の腹巻きをして小刀を忍ばせ眼光鋭かった。僕のことを若(わか)と言ったり若旦那(ばかだんな、またはワカランナ)と言ったりしていた。田んぼには稲穂が国道1号線も舗装されておらず道幅も狭く江戸時代のまま、そこを田畑で仕事を終えた農耕馬や牛が通る。馬糞もそのままにして。夕焼け空に鳥達がネグラに帰る頃、猟銃を肩に腰にキジをぶら下げて酒屋のお爺さんがご帰還。喧嘩早いのが玉にキズのお爺さん、大山講に行き夜中に喧嘩をして歩いて戸塚まで帰って来たという武勇伝の持ち主。また朝もやが立ち込める早朝決まった時間に鶴見から自転車で!アサリ屋さんが来た。アサリの剥き身を木枠のついた網の上にキレイに並べてあった。アミの佃煮も美味しかった。まだ鶴見が漁村で磯子の浜は漁師がいて江戸時代と変わらぬ漁の仕方だったのだろうね。早朝はもうひとつ、藁に包まれた、納豆。やはり自
転車に乗って来ていた。そして数年後この登場人物達が表舞台から下手へ去ると、原っぱが消え鶴見や磯子の浜が工業団地になり、江戸時代が終わりました。

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僕は片肺のYS−11

1つのプロペラではいくらロールズロイス社製とは言え離陸ができない。だから今は翼を休めて格納庫で整備中だ。

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ヤンキースと松井

松井が憧れたのは、縦縞のユニフォームだけではなかった、というのが僕の考え。ヤンキースの本拠地ニューヨークのライフスタイルに憧れたのではないか、僕はそう想像する。洗練された都市生活者のスタイルにね。日本の野球界のいまだに根性論がはびこり軍隊式の練習など、貧乏クサイのがイヤになってMLBに行ったのではないのかな。ニューヨークスタイルに松井は強い憧れを持っていたと確信する。縦縞のユニフォームだけではなかったということだ。

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